勝率96.2%の怪物・雷電爲右衞門はなぜ横綱になれなかったのか?
雷電が活躍した寛政年間は、江戸大相撲の第1期黄金期と呼ばれています。その時代を牽引したのが、公認横綱第1号となった谷風梶之助と、第2号となった小野川喜三郎です。
雷電は入門初期、名横綱・谷風の胸を借りて稽古に励み、実力を急速に開花させました。谷風が1795年にインフルエンザ(当時は風邪の谷風と呼ばれた)で急逝し、小野川が引退した後は、雷電の前に立ちふさがるライバルは皆無となり、文字通りの独走状態に入ります。
谷風と小野川が横綱免許を受けたことで「横綱」という存在が世に認知され始めた黎明期であったからこそ、入れ違いのように全盛期を迎えた雷電の立場は、制度の過渡期に位置する特異なものとなりました。