群馬の県庁所在地はなぜ前橋?高崎との歴史的因縁と現在の魅力を解明
前橋への正式移転を決定づけたキーマンが、幕末の志士・吉田松陰の義弟としても知られる初代群馬県令(現在の県知事)の楫取素彦です。1876年に着任した楫取は、当時の日本において最大の輸出品であった「生糸」の生産拠点として前橋が持つ経済的ポテンシャルに着目しました。
当時、前橋は日本初の器械製糸工場が開設されるなど、近代蚕糸業の最先端都市として莫大な富を生み出していました。楫取は「産業振興と富国強兵を推進する上で、蚕糸業の中心である前橋に行政拠点を構えることが最も合理的である」と判断したのです。
決定打となったのは、前橋町民による熱狂的な誘致運動でした。町民たちは県庁の恒久的な設置を求め、当時の金額で約3万9,000円(現在の貨幣価値で十数億円から数十億円に相当)という莫大な寄付金を自発的に集めました。庁舎建設費や用地を自前で用意するという前橋側の熱烈なアプローチと実利的な提案を受け、1881年(明治14年)、明治天皇の裁可を経て太政官より「前橋を群馬県庁所在地とする」正式な布告が下されました。