もんじ焼きの正体とは?もんじゃ焼きの元祖と江戸下町の歴史を徹底解剖
もんじゃ焼きのルーツを辿ると、江戸時代末期(文久から慶応年間)の江戸・浅草や向島周辺の寺子屋に行き着きます。当時、庶民階層にとって紙や墨、筆は決して安価な消耗品ではありませんでした。そこで、子どもたちに読み書きを教える寺子屋の師匠や駄菓子屋の店主が考案したのが、水でゆるく溶いた小麦粉を使い、熱した鉄板や銅板の上に文字を書きながら教える工夫でした。書き終えた文字が焼き上がると、そのまま香ばしいおやつとして子どもの口に入る仕組みです。
この教育と間食を兼ねた合理的な食べ物は、文字を書く行為そのものから「文字焼き(もんじやき)」と呼ばれるようになりました。江戸から明治へと時代が移り変わるなかで、江戸言葉特有の語尾の促音化やくだけた発音により、「もんじやき」から「もんじゃやき」へと音韻変化を遂げていったことが、言語学および民俗学の調査資料でも裏付けられています。
当時の味付けは極めて質素でした。醤油や水飴、黒蜜を垂らした生地を薄く引き伸ばす程度で、現代のようにキャベツや肉類、魚介類が入ることは一切ありませんでした。わずか数銭のお小遣いを握りしめた下町の子どもたちにとって、鉄板の熱気と醤油の焦げる匂いは、日常のささやかな娯楽そのものだったのです。