藤圭子の死因と転落の真相|遺書の有無や宇多田ヒカルが明かした葛藤
藤圭子(本名:阿部純子)さんは1951年、岩手県で盲目の浪曲師の父と曲師の母のもとに生まれました。幼少期から両親とともに旅回りの生活を送り、門付(かどづけ)で歌を歌いながら家計を支えるという過酷な少女時代を過ごします。
1969年、『新宿の女』で鮮烈なデビューを果たすと、翌1970年にリリースした『圭子の夢は夜ひらく』が空前の大ヒットを記録。暗く情念のこもった歌声は「怨歌(えんか)」と呼ばれ、学生運動の挫折感を抱える当時の若者や大衆の心を激しく揺さぶりました。ファーストアルバム『新宿の女』とセカンドアルバム『女のブルース』は、オリコンアルバムチャートで前人未到の42週連続1位という歴史的金字塔を打ち立てています。
1979年に突如として引退を表明し、アメリカへ渡って以降は表舞台から距離を置きましたが、彼女の圧倒的な歌唱力と存在感は、今なお日本の音楽史に燦然と輝く伝説として語り継がれています。