芹沢鴨が粛清された本当の理由|新選組暗殺事件の真相を徹底解説

芹沢鴨が粛清された本当の理由|新選組暗殺事件の真相を徹底解説の見逃せないポイントを一挙に解説しました。

芹沢鴨の行動原理を読み解く上で欠かせないのが、彼の水戸藩における経歴と尊皇攘夷思想です。

芹沢は常陸国行方郡芹沢村(現在の茨城県行方市)の郷士・芹沢外記の三男として生まれ、神道無念流の免許皆伝を得た剣客でした。水戸天狗党の前身組織である「玉造勢(たまづくりせい)」に参加し、尊皇攘夷の過激な政治活動に身を投じます。文久年間には投獄され、一時は死刑囚として獄中に繋がれていましたが、清河八郎の献策による浪士組結成に伴う大赦によって奇跡的に釈放された経歴を持ちます。

水戸学の本拠地で培われた彼の思想は、単に幕府に従属するのではなく、「朝廷(天皇)を敬い、外国を打ち払うために幕府の武力を再構築する」という強烈な尊皇攘夷論でした。壬生浪士組が八月十八日の政変において御所の警備で功績を挙げ、朝廷から「新選組」の隊号を賜った際、朝廷側との折衝や政治文書の作成において芹沢の教養と弁舌が大きく貢献したことは見逃せません。

また、八木邸の遺族たちの証言には、意外な芹沢の素顔が残されています。酒の入っていない普段の芹沢は極めて理知的で物静かであり、八木家の子供たちを膝に乗せては可愛がり、手先器用にユーモラスな絵を描いて聞かせるなど、穏やかな好人物としての一面を見せていました。

しかし、一度酒が入ると鬱屈した政治的フラストレーションと凶暴性が爆発し、力ずくで周囲をねじ伏せる二面性を持っていました。水戸天狗党の過激思想が生み出したエリート意識と、京都という政治の中心地で幕府の使節として生きる現実とのギャップが、彼を自滅へと追い込んでいったと考えられます。

伊藤 翔太

伊藤 翔太

フード&トラベルライター

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。