尾崎豊と覚醒剤の真実|1987年逮捕劇から死因の謎・遺書まで徹底検証
1983年にシングル『15の夜』、アルバム『十七歳の地図』で鮮烈なデビューを飾った尾崎豊は、管理教育や大人社会への反抗を叫び、瞬く間に若者たちのカリスマへと登り詰めました。しかし、急激に膨れ上がる虚像とプレッシャーは、彼の心身を激しく蝕んでいきます。
【尾崎豊の主な経歴年表】
- 1983年12月:シングル『15の夜』・アルバム『十七歳の地図』で同時デビュー
- 1985年11月:アルバム『壊れた扉から』リリース後、無期限活動休止を宣言
- 1986年6月:単身渡米し、ニューヨークに約半年間滞在
- 1987年12月:覚醒剤取締法違反(所持・使用)容疑で逮捕
- 1988年2月:懲役1年6か月・執行猶予3年の有罪判決を受け釈放
- 1988年6月:復帰シングル『太陽の破片』リリース
- 1992年4月25日:東京都足立区の民家前で倒れているところを発見され、搬送先で急逝(享年26)
転機となったのは、1986年の渡米でした。創作活動に行き詰まり、逃げるように渡ったニューヨークで、彼は激しい孤独感とプレッシャーに直面します。この滞在期に現地のナイトクラブや知人を通じて覚醒剤やドラッグの入手ルートに接触したとされています。帰国後も精神的な不安定さは解消されず、1987年12月22日、東京都練馬区の自宅で覚醒剤取締法違反容疑により電撃逮捕されました。