ラストエンペラー溥儀の数奇な生涯|紫禁城追放から晩年の庭師まで
1945年8月、ソ連軍の満州侵攻と日本の降伏により満州国は崩壊。溥儀は日本への亡命を図る途中の瀋陽の飛行場でソ連軍に拘束され、シベリアのハバロフスク収容所に抑留されました。
1946年、溥儀は極東国際軍事裁判(東京裁判)に証人として出廷。8日間にわたり証言台に立った溥儀は、自らは完全に日本軍の脅迫によって動かされていた無力な操り人形であったと主張し、満州国時代の戦争責任をすべて日本側に転嫁する証言を行いました。この証言は自己保身と自国(清朝皇族)の生き残りをかけた必死の立ち回りでしたが、後に歴史家たちからその信憑性を巡って多くの議論を呼ぶことになります。
1950年にソ連から新中国(中華人民共和国)へ身柄を引き渡された溥儀は、撫順戦犯管理所に収監されます。そこで約10年間に及ぶ「思想改造」を受け、皇帝時代の特権意識を捨て去り、自らの服のボタン掛けや靴紐結びといった基本的な生活習慣を一から学び直しました。この管理所生活の中で執筆されたのが、後に世界的ベストセラーとなる自伝『わが半生』です。共産党体制下での自己批判という文脈を含みつつも、宮廷の裏側と自らの内面を生々しく記録した一級の歴史資料となっています。