火垂るの墓作者・野坂昭如の真実|妹への贖罪と隠された実話の全貌
大手レビューサイトやソーシャルメディアを観察すると、毎年8月の終戦記念日前後になると『火垂るの墓』をめぐる激しい感情の吐露が観測されます。そこには単なる「可哀想」という共感を越えた、視聴者の葛藤が存在します。
「子どもの頃は清太に感情移入して涙が止まらなかったが、親になった今見ると、叔母さんの正論を拒絶して妹を死なせた清太のプライドに苛立ちを覚えてしまう」(30代会社員・X投稿より)
「野坂昭如の手記を読んだあとでは、アニメの清太が美化された天使に見えてしまい、かえって作者の抱えた闇の深さに震える」(40代教員・読書メーターより)
多くの視聴者が抱く違和感の根底には、原作とアニメの間に存在する「視点の乖離」があります。スタジオジブリ版を手がけた高畑勲監督は、完成披露試写の場で「これは反戦アニメではない」と公言して波紋を呼びました。高畑が描こうとしたのは、戦争被害者としての可哀想な兄妹ではなく、「社会のわずらわしい人間関係を嫌い、2人だけの閉鎖空間に閉じこもって破滅していった現代の若者」の姿でした。叔母からの嫌味に耐えて頭を下げていれば、あるいは農作業を手伝って共同体に従属していれば、節子が命を落とすことはなかったという冷徹なリアリズムを突きつけているのです。
一方、作者の野坂昭如自身は、完成したジブリ映画を試写室で鑑賞した際、途中で溢れる涙を止めることができなかったと伝えられています。画面の中で生き生きと走り回り、しゃべり、やがて衰弱していく節子の姿は、かつて自分が三国町で冷たい亡骸にしてしまった幼い義妹の幻影そのものだったからです。野坂にとってアニメ『火垂るの墓』は、自らの業(ごう)を巨大なスクリーンで突きつけられる過酷な公開処刑でもありました。