邪馬台国畿内説は確定か?最新発掘と年代測定から迫る古代史の決着
現在、考古学の世界で邪馬台国畿内説が圧倒的に有力視されている背景には、奈良県立橿原考古学研究所や桜井市教育委員会による纏向遺跡の継続的な発掘調査があります。
纏向遺跡からは、規則正しく東西に配置された3世紀前半の大型建物群(最大規模の建物は床面積約280平方メートル)が検出されました。さらに注目すべきは、出土した土器の約15%が伊勢・東海・北陸・山陰・北部九州など列島各地から持ち込まれた「外来系土器」であった点です。これは、生活のための自然な集落ではなく、政治的な目的のために日本各地から人々が集まった「計画都市」であることを客観的に証明しています。
もうひとつの決定的な根拠が、最古級の前方後円墳とされる箸墓古墳(全長約280メートル)の存在です。『魏志倭人伝』には卑弥呼が死去した際、「径百余歩の大きな塚を作った」と記されています。百歩は約140〜150メートルに相当し、箸墓古墳の後円部の直径(約150〜160メートル)と驚くほど合致するのです。
さらに、国立歴史民俗博物館(歴博)などの研究グループが実施した放射性炭素(C14)年代測定では、箸墓古墳の周濠から出土した土器に付着した炭化物の年代が西暦240〜260年頃と算出されました。これは卑弥呼の没年とされる西暦248年前後と完全に一致しており、畿内説を支える科学的支柱となっています。