後藤輝基の若い頃が超イケメン?ロックスター秘話と激変の真相

後藤輝基の若い頃が超イケメン?ロックスター秘話と激変の真相の真相について、分かりやすい解説を取りまとめてご紹介します。

このロックスターのような佇まいは、決して表面的なポーズで作られたものではありませんでした。大阪市東淀川区で育った後藤輝基は、少年期からギターにのめり込み、BLANKEY JET CITY(ブランキー・ジェット・シティ)やBOØWY、THE YELLOW MONKEYといった骨太なジャパニーズ・ロックを熱狂的に信奉する純度100%のロック少年だったのです。

特に浅井健一(ベンジー)への憧れは筋金入りで、アルバイト代を注ぎ込んで手に入れたビンテージのグレッチ製ギターを部屋で抱え、鏡の前でコードをかき鳴らす日々を過ごしていました。後にバラエティ特番『アメトーーク!』の「ギター芸人」で見せる見事な腕前や、藤井隆プロデュースによる音楽活動『マカロワ』での本格的なボーカルワークは、すべてこの多感な青年期に培われたものです。

高校卒業後、お笑いの道を志して1994年に吉本総合芸能学院(NSC大阪校14期生)へ入学します。同期にはココリコ、次長課長、野性爆弾といった個性派がズラリと揃う黄金世代でした。後藤は当初、高校の同級生であった天野裕加里と「エレキグラム」というコンビを結成し活動を始めます。しかし当時の吉本若手シーンは凄まじい実力主義。同期や先輩たちと凌ぎを削るなか、エレキグラムは一定の評価を得つつも決定的なブレイクには至らず、約5年間の活動の末に解散へと追い込まれました。

小林 直樹

小林 直樹

トレンドリサーチャー

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