松野明美の現在と家族の軌跡|政界での評判やダウン症の次男と歩んだ真実
松野明美のマラソン経歴を振り返る上で、日本スポーツ史に深く刻まれているのが1992年バルセロナオリンピックの女子マラソン代表選考劇です。
当時、すでに内定していた山下佐知子に加え、残る代表2枠を有森裕子、松野明美、荒木久美らが争う展開となりました。選考レースとなった1992年1月の大阪国際女子マラソンにおいて、松野は初マラソンながら積極的な逃げを見せ、2時間27分02秒という当時の日本最高記録(小鴨由水に次ぐ2位)をマーク。一方の有森は前年の世界陸上東京大会で4位入賞を果たしていました。
選考委員会が紛糾するなか、松野はメディアを通じて「私を選んでほしい」と涙ながらにアピール。密室で行われた最終選考の結果、実績を重視された有森裕子が選出され、松野は補欠に回るという苦渋の決断が下されました。結果として有森はバルセロナ五輪で銀メダルを獲得し、選考の正しさが証明される形となりましたが、この騒動は日本中に「五輪選考基準の透明化」を求める議論を巻き起こしました。
後年、メディアの対談企画などで松野と有森は幾度となく顔を合わせています。当時の遺恨について松野は「当時は有森さんの顔を見るのも辛かった。でも、あの悔しさと挫折があったからこそ、人の心の痛みがわかるようになり、タレントや議員としての今の私がある」と語り、二人は深いリスペクトで結ばれた戦友としての関係を再構築しています。