日活ポルノ誕生の真相と歴史|経営危機が生んだ名作と女優たちの現在
日本映画の黄金期を牽引した名門・日活が成人映画路線への転換を余儀なくされた最大の要因は、1960年代後半から加速した深刻な観客離れと莫大な累積赤字にありました。テレビの急速な普及とレジャーの多様化により、石原裕次郎や吉永小百合らを擁した青春・アクション映画の動員は急減。撮影所の維持すら困難な経営危機へと追い込まれていきます。
倒産か、撮影所の売却か、それとも映画製作の全面停止か――背水の陣に立たされた首脳陣が1971年に下した決断が、成人映画(ポルノ映画)への完全特化でした。低予算・短期間で確実に利益を回収できるジャンルへ勝負を賭けたこの転換は、映画業界や世間に凄まじい衝撃を与えます。
製作にあたって課せられた現場のルールは極めてシンプルでした。「上映時間70分前後」「10分に1回の性描写」「低予算かつ約1週間の撮影期間」の3点のみ。この枠組みさえ守れば、ストーリーやカメラワーク、テーマ設定は監督に一任されたため、商業映画の制約に縛られていたクリエイターたちにとって、皮肉にも日本で最も自由な創作の実験場となったのです。