稲田朋美は何をしたのか?防衛相辞任と裏金、政界復権へのシナリオ
稲田朋美氏の政治キャリアにおいて最大の痛手となったのが、2016年8月から約1年間にわたって務めた防衛大臣時代の出来事だ。安倍元首相による看板人事として華々しく就任したものの、安全保障関連法が施行されて間もない時期の防衛省トップ就任は、結果として彼女を厳しい試練に晒すことになった。
もっとも致命傷となったのは、南スーダンPKO(国連平和維持活動)派遣部隊が記録していた自衛隊日報問題である。現地情勢を「戦闘」と記述していた日報の存在が一度は「破棄した」とされながら、後に陸上自衛隊内で保管されていた事実が発覚。組織的な隠蔽疑惑へと発展した。国会答弁における不安定な受け答えや、特別防衛監察の結果報告を巡る混乱の責任を取り、2017年7月に彼女は辞任へと追い込まれた。
さらに、同年の東京都議選の応援演説で「防衛省・自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」と発言したことは、自衛隊の政治的中立性を定めた自衛隊法に抵触する恐れがあるとして猛烈な批判を浴びた。弁護士資格を持つ法曹出身者でありながら、法的な整合性を欠いた発言を重ねたことは、防衛相としての職務遂行能力に対する国民の不信を決定づけた。