せいろ・ざる・もり蕎麦の違いとは?海苔とつゆに隠された江戸の歴史
三者の違いを真に理解するには、江戸時代の食文化の劇的な進化に目を向ける必要があります。日本で麺状の蕎麦(蕎麦切り)が普及し始めた当初、蕎麦はつなぎの技術が未熟だったため切れやすく、蒸籠(せいろ)で蒸してそのまま客に供する「蒸し蕎麦」が標準でした。これが「せいろそば」の原点です。
時代が進み、茹で上げても切れないしっかりとした麺が打てるようになると、熱い汁を豪快に麺の上からかける「ぶっかけ蕎麦」が大流行します。これに対し、従来のつゆにつけて食べるスタイルを「汁をかけずに器に盛った蕎麦」として区別するために誕生した呼び名がもりそば(盛り蕎麦)でした。
転機が訪れたのは江戸時代中期の寛政年間(1789〜1801年)です。深川洲崎にあった名店「伊勢屋」が、他店との差別化を図るために竹ざるに蕎麦を盛り付けた「ざるそば」を考案しました。竹ざるを使うことで水切れが劇的に良くなり、最後まで蕎麦がふやけずに凛としたコシを保てる工夫が江戸っ子の評判を呼び、一躍大ヒットを記録したのです。
明治時代に入ると、さらに他店のもり蕎麦と決定的に差別化するため、最高級の浅草海苔を刻んで乗せるスタイルが定着しました。当時の海苔は庶民にとって貴重な高級品であり、海苔の豊かな磯の香りと蕎麦の香ばしさが合わさる贅沢な一杯として、ざるそばは一段上のステータスを確立したのです。
一方、せいろが四角い木枠の底上げ構造へと変化していった背景には、天保の改革期における物価統制令があります。幕府から蕎麦の価格を強制的に値下げさせられた蕎麦屋が、量を減らしつつも見た目のボリュームを保つために底を上げたせいろを開発したという、当時の商人の切実な知恵が反映されています。