徳姫のその後と十二ヶ条の訴状の真相|信康自刃を招いた悲運の生涯
悲劇に満ちた婚姻生活でしたが、徳姫が命懸けで産んだ2人の娘は、その後の歴史において極めて重要な役割を果たしました。岡崎に残された娘たちは家康の手で養育され、それぞれ由緒ある大名家へと嫁ぎます。
長女の登久姫は信濃松本藩主・小笠原秀政の正室となり、次女の熊姫は徳川四天王・本多忠勝の嫡男である本多忠政に嫁ぎました。特に熊姫の家系は華麗を極めます。忠政との間に生まれた長男・本多忠刻は、大坂城落城後に救出された家康の孫娘・千姫の再婚相手となりました。さらに熊姫の娘・振姫は伊達政宗の嫡男である仙台藩第2代藩主・伊達忠宗に嫁いでいます。
小笠原家や蜂須賀家、大谷家などを経由して、徳姫の遺伝子は水戸徳川家や公家社会の深奥へと浸透していきました。信長と家康の血を同時に引き継いだ血脈は、江戸時代の諸大名家を縦断し、明治・大正を経て現代の皇室や旧華族へと確実に受け継がれています。自刃によって潰えた信康の血筋は、徳姫を通じて歴史の表舞台に残り続けたのです。