七人ミサキの正体と呪いの連鎖|出会うと死ぬ怪異の起源と対処法

七人ミサキの正体と呪いの連鎖|出会うと死ぬ怪異の起源と対処法の総合ガイドを解説します。最新トレンドが詰まっています。

七人ミサキの発祥として特に有名なのが、高知県(旧土佐国)における戦国大名・長宗我部氏にまつわる哀史です。高知県土佐市戸波(へわ)などに伝わる伝承では、戦国時代末期に起きた凄惨な粛清劇が怨霊の引き金になったと記録されています。

土佐の覇者である長宗我部元親の跡目を巡る争いの中、重臣であった吉良親貞の遺児・吉良親実(きらちかざね)は、元親の四男である盛親への家督継承に異を唱えたため、無実の罪を着せられて切腹を命じられました。慶長5年(1600年)のこの悲劇に際し、親実を慕う7人の家臣たちが後を追って無念の自刃を遂げました。

その後、土佐国内では不審な変死や疫病、天災が相次ぎ、人々はこれを「無念の死を遂げた7人の武士の祟り(戸波の七人ミサキ)」として恐れ慄きました。祟りを鎮めるため、領内には死者を祀る供養塔として「七人塚(しちにんづか)」が建立され、現在も高知県内の複数箇所に史跡として残されています。

また、海難事故が多発した瀬戸内海や四国南部の沿岸集落においても、遭難した7人の漁師や水夫を供養するための七人塚が数多く点在しています。弔われない死者が怨霊化して仲間を求めないよう、地域共同体が祈りを捧げてきた歴史の証左でもあります。

佐藤 大輔

佐藤 大輔

シニアコンテンツプロデューサー

最新のテクノロジーと生活デザインの融合をテーマに、国内外の最新トピックを発信しています。