徳川慶喜の大政奉還の真の狙いとは?幕府終焉の真相と二条城の舞台裏
Q1:大政奉還と王政復古の大号令の違いは何ですか?
A1:大政奉還は慶応3年(1867年)10月に徳川慶喜が自ら朝廷へ統治権を返上した出来事です。一方、王政復古の大号令は同年12月に薩長や岩倉具視らが主導し、幕府や将軍職の廃止を宣言して慶喜を新政府から実質的に排除した政変クーデターを指します。
Q2:大政奉還によって江戸時代は即座に終わったのですか?
A2:形式的には政権が朝廷へ返上されましたが、慶喜は依然として内大臣であり、膨大な領地と幕臣を従えていました。制度的・実質的に幕府が完全に解体されたのは、その後の小御所会議、鳥羽・伏見の戦い、そして1868年の江戸城無血開城を経てのことです。
Q3:徳川慶喜は大政奉還のあとどうなったのですか?
A3:鳥羽・伏見の戦い後に江戸上野の寛永寺や水戸で謹慎生活を送りました。戊辰戦争終結後は静岡で隠居し、写真撮影や狩猟、自転車などの趣味に没頭しました。明治31年(1898年)には明治天皇に拝謁して名誉を回復し、公爵を授爵して貴族院議員も務め、大正2年(1913年)に76歳で長寿を全うしました。