力道山の封印された真実!世界配信プロジェクトが明かす光と影
帰国後、力道山は自らの手で日本プロレス協会を設立。アメリカから輸入したプロレスを、日本独自の興行スタイルへと昇華させた。1950年代半ば、日本テレビの開局と完全に歩調を合わせる形で仕掛けられたメディア戦略は、まさに天才的なプロデュース能力の賜物だった。
白眉は、1957年に行われた「鉄人」ルー・テーズとのNWA世界ヘビー級王座戦だ。当時、世界最高峰のレスラーと互角に渡り合い、日本中を熱狂させた一戦。だが、この世紀の対決の裏側にも、徹底した興行上の駆け引きや日米プロレス界の覇権争いが渦巻いていた。自らを「絶対的な勝者」として演出し続けた力道山の冷徹なビジネス感覚が、プロレスを一大産業へと押し上げた。