香川県の県庁所在地は高松市!丸亀でなく選ばれた歴史と現在を徹底解説

香川県の県庁所在地は高松市!丸亀でなく選ばれた歴史と現在を徹底解説を詳しくリサーチ! 読者が気になる 重要ポイントを凝縮して配信します。

香川県内には、高松市と並び歴史ある城下町として栄えた「丸亀市」が存在します。地理的にも香川県の中央西寄りに位置し、金刀比羅宮への参道口としても名高い丸亀ではなく、なぜ東寄りの高松が県庁所在地となったのでしょうか。そこには明治初期の激動の行政再編劇がありました。

💡 歴史のポイント:3度に及ぶ「香川県」の設置と独立劇

香川県は一度すんなり成立したわけではありません。1871年の廃藩置県以降、統廃合を繰り返し、一時は「愛媛県」に完全に吸収・併合されていた歴史があります。

藩格と石高の決定的な格差|高松藩12万石 vs 丸亀藩6万石

江戸時代の讃岐国(現在の香川県)において、高松藩は松平家(親藩・水戸徳川家の分家)が治める12万石の大藩でした。一方の丸亀藩は京極家が治める6万石。城下の武士団の規模、町民人口、商業集積の面で、高松藩は讃岐国の圧倒的首府として機能していました。

明治4年(1871年)の廃藩置県直後、高松県と丸亀県が統合されて第1次「香川県」が誕生した際、藩庁としてのインフラ規模や都市基盤の充実度から、県庁が高松城内に置かれたのは自然な帰結でした。

「愛媛県への強制併合」と高松の指導者層による分離独立運動

香川県にとって最大の屈折期は、1876年(明治9年)に財政上の理由などから愛媛県へ編入・併合された時代です。四国が愛媛・高知・徳島の3県に整理され、香川という自治体名は地図上から一時姿を消しました。

この「愛媛県讃岐支庁」時代、松山を中心とする県政運営に対する不満が旧讃岐国側で噴出。中野武営(なかの たけなか)ら高松出身の政治的指導者たちが中心となり、執念の「香川県再置(独立)運動」を展開しました。1888年(明治21年)、全国で最後となる分県により第3次香川県が誕生。この奪還運動の中心司令塔が高松にあったことが、高松を県庁所在地として不動のものにした決定打となりました。

高橋 健太

高橋 健太

ライフスタイル編集者

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。