エッシャーのだまし絵の謎を解剖!滝と階段の仕組みと数学的真相に迫る
エッシャーの画業は、最初からだまし絵を志向していたわけではありません。マウリッツ・エッシャー 経歴を辿ると、ある決定的な旅と挫折が彼の作風を劇的に変貌させたことが分かります。
オランダの裕福な土木技師の家庭に生まれたエッシャーは、ハールレムの建築装飾美術学校で木版画の技術を習得。青年期はイタリアに滞在し、地中海の険しい山岳風景やアマルフィ海岸の入り組んだ建築群をスケッチする風景版画家として活動していました。光と影を緻密に刻み込むこの時期の鍛錬が、後の超絶的な描写力の土台となります。
しかし、1930年代のファシズム台頭に伴いイタリアを離れざるを得なくなったエッシャーは、風景画への情熱を失い、深刻なスランプに陥ります。その彼を救ったのが、1936年にスペイン・グラナダのアルハンブラ宮殿で目にしたムーア人によるイスラム建築のモザイクタイル装飾でした。
隙間なく敷き詰められたタイルに衝撃を受けたエッシャーは、自著や書簡の中で当時の興奮を次のように記しています。
「これこそが私の生涯を捧げるべきテーマだ。抽象的な幾何学模様ではなく、生物の形(鳥、魚、爬虫類)を用いて平面を完璧に埋め尽くすことはできないだろうか」
この出会いを機に、エッシャーは「エッシャー だまし絵 なぜ描いたのか」という問いの核心である「平面の正則分割(テセレーション)」の実験に没頭していきます。キャンバスという平らな2次元空間の中で、いかにして無限や空間の連続性を表現するか――。幾何学的なルールに縛られながらも自由な形態を模索する探求が、やがて視覚の矛盾を突く不可能世界へと昇華していったのです。