帝政ロシアはなぜ滅亡したのか?ロマノフ朝崩壊と皇帝一家処刑の真相
退位後、皇帝一家は身柄を拘束され、最終的にウラル地方のエカテリンブルクにある「イパチェフ館」に幽閉されました。反革命軍(白軍)の接近に危機感を募らせたボリシェヴィキ地方評議会は、1918年7月17日未明、地下室に一家を集めて一斉射撃を浴びせました。
ニコライ2世処刑の真相は極めて凄惨なものでした。皇帝夫妻だけでなく、4人の皇女(オリガ、タチアナ、マリア、アナスタシア)と幼い皇太子アレクセイ、従医や召使までが銃弾と銃剣の犠牲となったのです。皇女たちのコルセットには大量の宝石が縫い込まれていたため弾丸が跳ね返り、処刑作業は泥沼を極めたと記録されています。遺体は森の廃坑へ運ばれ、硫酸をかけられた上に焼却され、長年埋葬場所が隠蔽されていました。
この秘密主義が、世紀のミステリーと呼ばれるアナスタシア皇女生存説の真相を生む温床となりました。特に「アンナ・アンダーソン」と名乗る女性が自身をアナスタシアだと主張し、欧米の社交界を巻き込む大騒動に発展。しかし、ソ連崩壊後に発掘された遺骨の調査と、1990年代から2000年代にかけて実施された精密なDNA鑑定により、皇帝一家全員の死亡が科学的に完全証明され、伝説には終止符が打たれました。