歌舞伎町・第二東亜会館の現在とは?80年代ディスコの熱狂と解体の真相
Q1:第二東亜会館は現在解体されて跡地は何になっていますか?
A1:第二東亜会館は現在も解体されておらず、東京都新宿区歌舞伎町1-21-1に現存しています。跡地として更地になったり別の超高層ビルに建て替えられたりした事実はありません。2026年現在も「海底撈火鍋 新宿店」や屋上ビアガーデンなどが営業する複合商業ビルとして機能しています。
Q2:80年代の第二東亜会館にあった有名なディスコの店名は?
A2:特に著名だったのが「GBラビッツ」「BIBA(ビバ)」「B&B」「グリース」の4店舗で、総称して「東亜4大ディスコ」と呼ばれました。フロアごとに大衆ポップス、ハイエナジー、ロックンロールなど選曲や客層のカラーが異なり、中高生を中心に熱狂的な支持を集めました。
Q3:伝説のディスコ「ニューヨーク・ニューヨーク」は第二東亜会館の中にあったのですか?
A3:いいえ、第二東亜会館の中にはありませんでした。「ニューヨーク・ニューヨーク(NY-NY)」は同じ歌舞伎町の広場(シネシティ広場)を挟んだ別のビル(王城ビルなど)に存在した独立したディスコです。同時期に歌舞伎町のディスコブームを二分したライバル店舗であったため、後年記憶が混同されるケースが多く見られます。
Q4:第一東亜会館と第二東亜会館は何が違いますか?
A4:両方とも興行大手「東亜興行株式会社」が所有・開発したビルですが、立地と用途が異なります。第一東亜会館は映画館やボウリング場などを中心とした総合レジャー施設として展開されたのに対し、第二東亜会館はビル内に多数のディスコが集結し、80年代若者文化の発信地として名を馳せました。
Q5:なぜ第二東亜会館のディスコブームは終わってしまったのですか?
A5:最大の理由は1984年の風営法大幅改正(1985年施行)です。未成年者の深夜滞留や補導問題、周辺の治安悪化を受けて深夜営業が厳しく制限され、放課後の中高生をターゲットとした営業形態が立ち行かなくなりました。さらにバブル期の到来とともに若者のトレンドが六本木や芝浦の高級・大型ディスコへ移行したことも要因です。