妾とは何か?愛人との違いと明治政府が公認していた驚愕の実態

妾とは何か?愛人との違いと明治政府が公認していた驚愕の実態の基礎知識と応用に迫る! 専門的な視点で紐解きます。

身分の高い武家や皇族において、妾は「側室」と呼ばれた。日本近世・近代史を振り返れば、権力者たちの側室選びは国家戦略そのものであったことがよくわかる。

天下人となった豊臣秀吉は、正妻・ねねとの間に実子が得られず、浅井長政の娘である茶々(淀殿)をはじめとする多数の側室を抱えた。秀吉にとって側室とは、自らの血統を天下に知らしめるための切実な政治的カードだった。結果として秀頼が誕生したことで、豊臣政権の権力構造は大きく激変していく。

さらに極端な例が、江戸幕府第11代将軍の徳川家斉だ。家斉は40人以上の側室を持ち、50人を超える子女をもうけた。生まれた子どもたちは全国の有力大名家へ養子や嫁として送り込まれ、徳川宗家の権力基盤を盤石にするための生きた道具となった。側室制度は、個人の好色さの問題ではなく、封建支配を維持するための冷徹な国家機構の一部として稼働していたのである。

田中 結衣

田中 結衣

デジタルマーケティングコンサルタント

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。