半世紀の時を超えて問いかける「あさま山荘事件」の警鐘——Ai時代に再浮上する狂気と報道の原点
1972年2月19日、印旛沼事件や山岳ベース事件など連続する暴力犯罪の果てに警察の追尾を逃れてきた連合赤軍の5名(坂口弘、吉野雅邦、辻和子、坂東國男、植垣康博)が、軽井沢の浅間山荘へと逃れ込んだ。山荘には管理人の女性が一人取り残されており、彼らはすぐさま彼女を拘束して立てこもった。
現場は標高1000メートルを超える激しい吹雪とマイナス15度に達する極寒の山岳地帯。給水管は凍りつき、警察側は暖をとるすべすら限られていた。警察庁や警視庁、長野県警から動員された機動隊員らは、深雪に足を取られながら山荘を包囲し、強行突破の機会をじっと伺うしかなかった。内部からは容疑者らが猟銃や手製パイプ爆弾を放ち、包囲網を寄せ付けない。現場指揮を執った警視庁警備部付の佐々淳行氏らを悩ませたのは、人質の安全確保と過酷極まりない自然環境という二重の壁であった。