和泉式部日記の現代語訳とあらすじ徹底解説|敦道親王との愛と歌の真実

和泉式部日記の現代語訳とあらすじ徹底解説|敦道親王との愛と歌の真実にまつわる役立つ知識を詳しく紐解きます。

Q1:なぜ自分の恋愛日記なのに「女」という三人称で書かれているのですか?
A1:平安時代の文学では、実体験を客観化して「物語」として世間に通用させるために、あえて三人称を用いる手法が存在しました。また、自分自身の行動を「女」として一歩引いた視点から描写することで、自慢話や身勝手な言い訳に見えるのを防ぎ、悲恋のヒロインとしての美意識を読者に届ける意図があったと考えられています。

Q2:冒頭の「薫る香によそふるよりは…」という和歌に出てくる「橘」にはどんな意味があるのですか?
A2:『古今和歌集』の有名な歌「五月待つ花橘の香をかげば 昔の人の袖の香ぞする」を踏まえています。古典の世界において、橘の花は「亡き人を思い出す縁(よすが)」の象徴でした。敦道親王はこの約束事を利用して、「亡き兄を思い出すためではなく、あなた自身に会いたい」という口実を作り出したのです。

Q3:敦道親王の邸に入った後、二人はどうなったのですか?
A3:日記の結末の後、式部は敦道親王との間に男子(岩蔵宮)をもうけ、親王の手厚い庇護のもとで暮らしました。しかし寛弘4(1007)年、敦道親王もまた27歳という若さで病没してしまいます。再び最愛の人を失った式部は深い哀傷歌を遺し、やがて一条天皇の中宮・藤原彰子(藤原道長の娘)に女房として出仕することになります。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。