双葉病院の真相と現在|置き去り報道の闇と裁判が暴いた全貌

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東日本大震災の発生時、福島第一原発事故の震源地からわずか約4.5kmの至近距離に位置していた医療法人博文会「双葉病院」には、重度の精神疾患や認知症を抱える入院患者が多数療養していました。また、隣接する介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」にも多くの寝たきり高齢者が入所しており、自力歩行が不可能な要援護者が密集するエリアでした。

3月12日未明に原発から半径10km圏内への避難指示が出された直後から、双葉病院 避難の経緯は過酷を極めました。電話回線の途絶、停電、放射線量急上昇の恐怖が立ち込めるなか、双葉病院 院長の鈴木市郎氏および職員たちは、動ける患者を優先して近隣の避難所へ第1陣として搬送を開始。残された重篤な寝たきり患者を救出するため、行政や自衛隊に対して大型救急車両や搬送部隊の派遣を必死に要請し続けました。

ところが、3月12日午後の1号機水素爆発により救助隊の進入が一時中断。現場に残った院長や限られたスタッフは、食料や医薬品、水が枯渇するなかで患者の排泄介助や保温に奔走していました。3月14日、ようやく到着した自衛隊部隊に対し、院長は「患者を頼みます」と引き継ぎを行い、受け入れ先病院の確保や医薬品調達のために移動しました。しかし、自衛隊側も装備や人員の制約から一度に全員を搬送できず、救出完了は震災発生から5日後の3月16日にまでずれ込んだのです。

この過酷な移送作戦において、暖房もない自衛隊の大型トラックやバスで十数時間も揺られ、点滴や酸素吸入も受けられないまま搬送された結果、移動中や避難先で45名にのぼる尊い命が失われました。それにもかかわらず、当時の県災害対策本部や一部メディアは事実関係を十分に確認しないまま、「医師や職員が患者を放置して避難した」という誤った発表を垂れ流し、日本中から猛烈な非難の嵐が医療陣へ浴びせられることになったのです。

鈴木 陽菜

鈴木 陽菜

テックライター兼ウェブディレクター

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