日本三大うどん「最後の1枠」はどこ?讃岐・稲庭に続く論争の真相
ここで、食文化史の視点から一つの盲点を指摘しなければなりません。そもそも「日本三大〇〇」という枠組み自体、どのような経緯で定着したのでしょうか。 社会学や観光文化論の観点から歴史を遡ると、近代以前の日本には「三大うどん」という厳密な概念はありませんでした。この呼称が急速に世間に広まったのは、昭和30〜40年代の高度経済成長期からバブル期にかけての観光ブームです。 日本国有鉄道(旧国鉄)のキャンペーンや大手旅行代理店のパッケージツアーが台頭した際、旅行客の購買意欲を刺激するキャッチコピーとして重宝されたのが「日本三大」というブランディング手法でした。 観光地を格付けし、「一生に一度は訪れるべき名所」「食べるべき名物」として演出するために、各地の観光連盟や旅行情報誌が「讃岐・稲庭」に続くご当地麺を独自にピックアップしていったのです。 ネット上では時折、「3つ目の座を争って自治体同士が対立している」といった過激な論調も見受けられます。しかし現地の観光協会や製麺組合に取材すると、敵対関係などは一切なく、むしろ「三大うどん論争を通じて、日本の伝統的なうどん文化全体に関心を持ってもらえることがありがたい」と極めて前向きに捉えています。3つ目が決まっていないこと自体が、最大の話題性とPR価値を生み出していると言えます。