滋賀県の県庁所在地は大津市!なぜ彦根や草津でないのか歴史の真相を解説
滋賀県が誕生する以前、近江国(現在の滋賀県エリア)には膳所藩、彦根藩、水口藩など多数の小藩が分立していました。1871年(明治4年)の廃藩置県直後、滋賀県域は大きく南部を中心とする「大津県(のちに滋賀県)」と、北部を中心とする「犬上県(県庁は彦根)」の2つに統合されます。
当時の力関係から見れば、徳川譜代筆頭として35万石を誇り、国宝・彦根城を有していた彦根(犬上県)が行政の中心になっても不思議ではありませんでした。しかし、1872年(明治5年)に両県が合併した際、新県の県庁所在地に選ばれたのは大津でした。この決定を下した背景には、琵琶湖水運と東海道が交差する大津の圧倒的な物流・軍事・交通の優位性がありました。
大津は古くから京都の喉元に位置し、北陸や東海地方の物資が琵琶湖を経由して集まる最大の港湾都市でした。近代国家の建設を急ぐ明治新政府にとって、首都東京や旧都京都、経済の中心大阪との連絡網を確立するうえで、大津を拠点にすることは必然の選択だったのです。初代滋賀県令に就任した松田道之らの判断も、この地理的実利を最優先した結果でした。
なお、インターネット上では「彦根藩が幕末の井伊直弼の件で新政府から冷遇されたため大津になった」という懲罰説が語られることがありますが、公文書や歴史研究においてこれを裏付ける確証はありません。純粋に交通利便性と対京都・大阪連絡の実効性が決定打となったのが歴史の真相です。