徳川家康の死因は鯛の天ぷら?現代医学が暴く胃がん説と最期の真相

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家康の死因として語り継がれる「鯛の天ぷら事件」が発生したのは、元和2年(1616年)1月21日のことでした。当時、大御所として駿府城に君臨していた家康は、健康維持を兼ねて駿河国田中城(現在の静岡県藤枝市周辺)へ鷹狩りに出向いていました。

その際、御用商人として知られる京都の豪商・茶屋四郎次郎清次が上方で流行し始めていた珍味として「鯛を胡麻油で揚げ、その上に摺りおろした韮(にら)を添えた料理」を献上しました。これに興味を示した家康は賞味し、大変喜んだと記録されています。しかし、その日の夜に突如として激しい腹痛と下痢に見舞われ、体調が急変することになります。

この一件が後世の軍記物や講談で脚色され、「天下人は天ぷらに当たって落命した」という俗説が定着しました。しかし、家康が息を引き取ったのはそれから約3ヶ月後となる4月17日です。医学的に見て、通常の細菌性食中毒やアニサキスなどの急性消化器疾患が、3ヶ月もの潜伏・闘病期間を経て直接の死因となることは極めて考えにくいとされています。

橋本 菜々子

橋本 菜々子

トレンドリサーチャー

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。