応仁の乱の語呂合わせ総まとめ!1467年の一発暗記法と原因・結果

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戦後の歴史小説や大衆メディアでは、日野富子が「我が子を将軍に据えるために乱を引き起こし、米の投機や高利貸しで私腹を肥やした希代の悪女」として描かれることが通例でした。しかし、近年の実証的な歴史研究では、この通説に大きな見直しが入っています。

当時の一次史料を精査すると、富子は乱の勃発当初から一貫して戦火の拡大を防ごうと奔走しており、西軍の山名宗全と秘密裏に和平交渉を進めていた事実が判明しています。また、乱の最中に米の売買や関所の設置で莫大な利益を得た行動も、私利私欲のためというよりは、財政破綻状態に陥っていた幕府の維持管理費や、朝廷の儀式費用を調達するための緊急措置であったという評価が学術界では有力です。

さらに、応仁の乱の終結プロセスには「勝敗が判然としないままうやむやに終わった」という奇妙な真実があります。乱の主犯格であった山名宗全と細川勝元は、終結を見ることなく1473年(文明5年)に相次いで病死しました。総大将を失った東西両軍は戦う大義名分を完全に喪失し、1477年に西軍の主力であった大内政弘が京都を引き払ったことで、戦乱は自然消滅的に幕を閉じました。京都に残されたのは、一面の焼け野原と灰燼に帰した寺社仏閣だけだったのです。

山本 拓海

山本 拓海

ヘルス&ウェルネスアドバイザー

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。