勝新太郎の規格外な伝説とは?銀座の豪遊から借金の真相まで徹底解剖
1931年(昭和6年)11月29日、東京市深川区(現在の東京都江東区)に生まれた勝新太郎(本名:奥村利夫)は、長唄三味線の名匠・杵屋勝東治の次男として芸道の世界に生を受けました。実兄は同じく昭和を代表する大スターの若山富三郎です。幼少期から厳格な修行を重ねた勝は、二代目杵屋勝丸を名乗り、若くして三味線の名手としてアメリカ巡業を経験するなど、類いまれなリズム感と音感を培いました。
転機が訪れたのは1954年、22歳のときでした。大映のトップスター・市川雷蔵と同時期に専属契約を結び、映画『花の白虎隊』で銀幕デビューを飾ります。しかし、端正な顔立ちの二枚目路線で売り出された初期は鳴かず飛ばずの日々が続きました。転機となったのが1960年の映画『不知火検校』です。野心に満ちた盲目の悪僧を怪演したことで、従来の白塗りの二枚目から脱皮し、泥臭くも圧倒的な色気を放つ個性派俳優としての才能が開花しました。
その後、大映の看板シリーズとなる『悪名』の朝吉役、『兵隊やくざ』の大宮貴三郎役で大ブレイクを果たします。そして1962年、映画史に燦然と輝く代表作『座頭市物語』が誕生しました。仕込み杖を鮮やかに操る盲目の居合斬りの達人・座頭市は、勝新太郎の代名詞となり、日本国内のみならず世界のシネフィルを熱狂させる金字塔となりました。