天覧相撲の特別ルールと真相|座布団投げ禁止の理由と歴代名勝負

天覧相撲の特別ルールと真相|座布団投げ禁止の理由と歴代名勝負に関する最新のニュースを分かりやすく解説します。最新情報を求める方は必見です。

相撲の起源そのものが、天覧相撲と分かちがたく結びついています。『日本書紀』の垂仁天皇7年(紀元前23年とされる伝承)7月7日、大和国の当麻蹴速(たいまのけはや)と出雲国の野見宿禰(のみのすくね)が命を懸けて戦った「捔力(すまい)」こそが、記録に残る最古の天覧相撲とされています。この戦いに勝利した野見宿禰は相撲の始祖として称えられ、古代宮廷においては「相撲節会(すまいのせちえ)」として国家の吉凶を占う重要な儀礼へと昇華していきました。

近代における天覧相撲の最大の分水嶺となったのは、明治20年(1887年)4月のことです。文明開化の波に押され、「野蛮な裸の格闘」として排斥運動にさらされていた相撲界を救うべく、前田公爵邸において明治天皇を迎えた天覧相撲が挙行されました。時の首相・伊藤博文らの尽力によって実現したこの一戦が、大相撲を「国技」として公認させ、消滅の危機から救い出す決定打となった史実は相撲史において欠かせない一節です。

昭和に入ると、昭和天皇の相撲に対する尋常ならざる愛情が数々の逸話を生み出しました。昭和天皇は生涯で通算51回もの天覧相撲に足を運ばれ、蔵前国技館や両国国技館で幾多の熱戦を親覧されました。幼少期からの相撲通として知られ、昭和40年代の栃若時代、昭和50年代の輪湖時代など、黄金期を彩る熱戦に身を乗り出して見入られたと伝えられています。

元相撲協会幹部や当時の側近の手記によると、昭和天皇は「特定の力士をひいきすると土俵の公平性を損なう」という徹底した中立の立場を貫かれていました。それでも、熱戦の末に水入りとなった取組では「力士の体力が尽きて怪我をしないか」と深く案じられるなど、力士に対する温かな眼差しを常に絶やさなかったといいます。

山田 真由

山田 真由

自動車・モビリティライター

暮らしを豊かにする便利アイテムや時短アイデアを中心に、実用的な情報をお届けします。