五箇条の御誓文とは?現代語訳と理由・五榜の掲示との違いを徹底解説
中学校や高校の日本史の試験、大学入試で頻出するのが、「五箇条の御誓文 五榜の掲示 違い」です。驚くべきことに、五榜の掲示は五箇条の御誓文が出されたわずか翌日、慶応4年3月15日(1868年4月7日)に太政官から掲示板(高札)を通じて全国に出されました。同じ新政府が出したにもかかわらず、その内容は180度異なっています。
以下の比較表は、両者の発行日、対象者、目的、主要内容の決定的な相違点を整理したものです。
このように並べて比較すると、新政府が置かれていた「理想と現実の引き裂かれた状況」が鮮明になります。対外的・支配層向けには「旧来の陋習を破り、世界に知識を求める」と高らかに宣言しながら、庶民に対しては「キリスト教を信じてはならない」「集まって不満(一揆や強訴)を訴えてはならない」と、江戸時代と全く変わらない圧制を課したのです。特にキリスト教の禁止条項は長崎の浦上信徒弾圧につながり、欧米諸国から猛烈な抗議を受けて条約改正交渉の最大の障害となり、わずか5年後の1873年(明治6年)に高札撤去という形で撤回を余儀なくされました。