五箇条の御誓文とは?現代語訳と理由・五榜の掲示との違いを徹底解説

五箇条の御誓文とは?現代語訳と理由・五榜の掲示との違いを徹底解説の具体的な内容に迫る! 専門的な視点で紐解きます。

中学校や高校の日本史の試験、大学入試で頻出するのが、「五箇条の御誓文 五榜の掲示 違い」です。驚くべきことに、五榜の掲示は五箇条の御誓文が出されたわずか翌日、慶応4年3月15日(1868年4月7日)に太政官から掲示板(高札)を通じて全国に出されました。同じ新政府が出したにもかかわらず、その内容は180度異なっています。

以下の比較表は、両者の発行日、対象者、目的、主要内容の決定的な相違点を整理したものです。

項目五箇条の御誓文(ごかじょうのごせいもん)五榜の掲示(ごぼうのけいじ)編集部の分析・評価公布日1868年4月6日(慶応4年3月14日)1868年4月7日(慶応4年3月15日)わずか1日の時間差で公布された政策対象読者(対象者)公卿・諸侯(大名)・知識人層・外国政府一般庶民・農民・町民(民衆)読者層の違いが文体と方針の乖離を生んだ告知方法京都御所での神前儀礼・太政官日誌に掲載辻々や宿場町の「高札場(こうさつば)」に掲示江戸時代の統制手法をそのまま踏襲基本思想・トーン開明主義・国際協調・合議・進歩的封建的道徳・民衆統制・保守的・命令調新政府が抱えていた思想的矛盾が露出主な内容と禁止条項・公論の尊重
・陋習の打破
・知識を世界に求める近代化方針・五倫(儒教道徳)の遵守
・徒党・強訴・逃散の禁止
・キリスト教(邪宗門)の厳禁
・外国人への暴行禁止江戸幕府の民衆統制令をほぼそのままコピーその後の歴史的顛末大日本帝国憲法や自由民権運動の精神的支柱へ浦上四番崩れ等で欧米から大批判を浴び、1873年に撤去旧習にしがみついた掲示は5年で廃止に追い込まれた

このように並べて比較すると、新政府が置かれていた「理想と現実の引き裂かれた状況」が鮮明になります。対外的・支配層向けには「旧来の陋習を破り、世界に知識を求める」と高らかに宣言しながら、庶民に対しては「キリスト教を信じてはならない」「集まって不満(一揆や強訴)を訴えてはならない」と、江戸時代と全く変わらない圧制を課したのです。特にキリスト教の禁止条項は長崎の浦上信徒弾圧につながり、欧米諸国から猛烈な抗議を受けて条約改正交渉の最大の障害となり、わずか5年後の1873年(明治6年)に高札撤去という形で撤回を余儀なくされました。

木村 陽翔

木村 陽翔

テックライター兼ウェブディレクター

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。