連合赤軍・森恒夫はなぜ暴走したのか?総括の狂気と不可解な最期の真相

連合赤軍・森恒夫はなぜ暴走したのか?総括の狂気と不可解な最期の真相についての真相を徹底解説します。

資金難と警察の厳重な包囲網に追い詰められた赤軍派の森恒夫は、銃弾と銃器を強奪して武装闘争を進めていた日本赤軍中央委員会(通称・京浜安保共闘)の指導者・永田洋子および坂口弘らと急接近します。こうして1971年7月、両派が合流する形で「連合赤軍」が結成されました。

しかし、この合流こそが地獄への入り口でした。赤軍派は「国際根拠地論」を振りかざして銃を誇示するものの、実際の山岳でのサバイバル訓練や規律は杜撰そのもの。一方の京浜安保共闘は、日常の規律や個人の生活態度に異常なまでに厳格でした。群馬県の榛名山や迦葉山(かしょうざん)に設営された山岳ベース(秘密アジト)において、両派のカルチャーギャップは主導権争いへと直結します。

京浜安保共闘のトップである永田洋子から、自派の軍事訓練の甘さやメンバーの甘えを痛烈に批判された森恒夫は、指導者としてのメンツを保つために突如として「共産主義化」という観念的な言葉を振りかざしました。森は「真の革命戦士になるためには、過去のプチブル的ブルジョア根性を徹底的に克服しなければならない」と主張し、その自己変革のプロセスを「総括」と呼び始めたのです。

総括の手段として導入されたのが、執拗な人格否定と肉体的暴力でした。森は「殴るのは処刑ではなく、本人が自己批判を行い、共産主義戦士として生まれ変わるための『援助』である」という詭弁を展開。寒冷地の山小屋で食事を与えず、顔や身体を原型が崩れるまで殴打し、屋外の木に縛り付けて放置するなど、常軌を逸した暴行を指揮しました。

「総括を要求された者は、寒さと飢えと激痛のなかで『自らの弱さ』を叫ばされ、意識を失って命を落としていきました。森恒夫と永田洋子は、仲間が死亡すると『敗北死(革命戦士になりきれずに精神的に負けて死んだこと)』と決めつけ、自分たちの非を絶対に認めず、次の標的へと暴力を連鎖させていったのです」(当時の公判記録・供述調書より)。

井上 凛

井上 凛

シニアコンテンツプロデューサー

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。