横山裕はクォーター?ロシア説の真相と驚異の白肌・壮絶な生い立ち

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横山裕のビジュアルの背景を調べる読者が最も心を揺さぶられるのが、かつてTBS系『A-Studio』や日本テレビ系『アナザースカイ』などの密着ドキュメンタリーで本人の口から直接語られた、過酷な生い立ちのエピソードです。

横山が3歳の頃に実の両親が離婚。その後、母親が再婚したものの、新しく家族となった父親 義父との折り合いは極めて険悪でした。義父から日常的に冷遇され、「お前は俺の子じゃない」と棒で叩かれたり、食卓を別にされたりといった理不尽な仕打ちを受けたと告白しています。家庭内での居場所を失った横山は、一時的に母方の祖父母の元へ預けられ、深い孤独の中で幼少期を過ごしました。

その後、母親と義父の間に弟 家族構成として6歳下と8歳下の2人の弟が誕生します。しかし、やがて母親と義父も離婚。母子家庭となり生活が困窮する中、横山は中学校を卒業後、建設会社に就職してニッカポッカを履き、建設現場で働きながら日当を稼いで家計を助けていました。芸能活動を本格化させたのも、「何としても家族を養わなければならない」という強い切迫感からでした。

過酷な運命はこれにとどまりません。2010年、関ジャニ∞のソロコンサートツアー中、母親が50歳という若さで虚血性心疾患により旅先で突然倒れ、急逝してしまいます。最愛の母を失った横山は、悲嘆に暮れながらも「自分が弟たちの父親代わりにならなければならない」と決意しました。

当時まだ学生だった弟2人の学費、生活費をすべて自らの収入で賄い、次男を専門学校へ、三男を大学へと進学させて無事に卒業させました。さらに、弟が結婚する際には親代わりとして結婚式の費用を工面し、新郎の父親席に座って涙を流したというエピソードは、ファンの間だけでなく芸能界関係者の間でも語り草となっています。冷酷な家庭環境に屈することなく、無償の愛で弟たちを守り抜いた長男としての覚悟は、多くの人々の胸を打ちました。

池田 達也

池田 達也

マネー&キャリアエディター

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。