鳴くようぐいす平安京の裏側|794年遷都の怨霊伝説と真相を解明
平安京遷都の理由を深く理解するためには、その直前の「長岡京遷都(784年)」に目を向ける必要があります。桓武天皇は即位後、平城京において強大化しすぎていた南都仏教寺院の政治介入を嫌い、さらに自らの母方の血統(天智天皇系)を強固にする目的で、交通の便に優れた長岡京への遷都を断行しました。これは平城京と平安京の違いを語る上でも極めて重要な政治的転換点でした。
ところが、長岡京の造営工事が急ピッチで進められていた785年、桓武天皇の最も厚い信任を受けていた造営長官・藤原種継が何者かによって射殺されるという前代未聞の暗殺事件が発生します。首謀者として捕縛されたのは大伴氏や佐伯氏ら旧豪族でしたが、事件の余波は桓武天皇の実弟であり皇太子であった早良親王にまで及びました。
無実を訴えて絶食した早良親王は、淡路国へ配流される途中で憤死。この非業の死こそが、その後の桓武朝を覆う暗雲の始まりとなりました。種継暗殺から平安京遷都に至る約9年間の記録を検証すると、長岡京は呪われたかのような災厄に見舞われ続けていたことが一次史料『続日本紀』『日本紀略』から確認できます。