大奥最大の不祥事「江島事件」の真相!処分理由と権力争いの裏側

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事件が起きた正徳4年1月12日、絵島は月光院の名代として、前将軍・徳川家宣の霊廟がある芝・増上寺へ参詣に出向きました。公務を無事に終えた絵島一行は、帰途の途中で木挽町(現在の銀座周辺)にあった芝居小屋・山村座へと立ち寄ります。

そこで繰り広げられた観覧と宴会が、すべての引き金となりました。事件の発生から終息までの経緯を時系列で整理します。

【江島生島事件の主な経緯年表】

・正徳4年(1714年)1月12日:絵島一行が増上寺参詣の帰途、山村座で歌舞伎を観覧。座元の山村長太夫や看板役者の生島新五郎らを招いて大規模な酒宴を催す。
・同日夕刻:宴席が長引き、江戸城平川門の閉門時刻(七ツ立ち・午後4時頃)を大幅に過ぎて帰城。門番との押し問答の末、強引に入城を果たす。
・正徳4年1月下旬〜2月:大奥および幕閣の保守派が門限破りと風紀紊乱を問題視し、評定所による極秘捜査が開始される。
・正徳4年3月5日:幕府より関係者に対する第一陣の厳罰が下される。絵島は身柄を拘束され、生島新五郎をはじめとする関係者が次々と捕縛。
・正徳4年3月〜秋:山村座が取り壊され、関係した商人や旗本、奥女中ら総勢1,500名超への断罪が完了。

本来ならば厳格に管理されていた大奥の出入り規範を破っただけでなく、特権階級の奥女中が賎民とされていた役者を座敷に招いて遊興した行為は、身分統制を重んじる幕府法度に対する明白な違反行為として徹底的に断罪されました。

加藤 愛美

加藤 愛美

エンタメ専門ジャーナリスト

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。