狂気の暴君か英傑か?新選組筆頭局長・芹沢鴨の真実と粛清の謎
新選組筆頭局長として君臨しながら、文久3年(1863年)9月に濡れ衣のごとく過酷な暗殺を遂げた芹沢鴨。後世の創作物では「酒乱の暴君」として描かれる場面が多い。しかし、常陸国水戸藩出身の水戸天狗党運動に関与した文人としての側面や、尊王攘夷の確固たる思想を持っていた政治家としての顔も併せ持っていた。
彼がみせた狂気の裏には、混迷を極める幕末情勢に対する深い焦燥と、武士としての矜持が交錯していた。暴君としての悪名ばかりが一人歩きするが、最新の史料研究や京都の古文書が解き明かすのは、単なる悪党ではない、時代の奔流に翻弄された志高き英傑の姿である。権力闘争の闇に葬られた過酷な真実が、ここに露わになる。