新庄剛志の高校時代と強肩伝説の全貌!甲子園の有無と阪神入団の真相
華々しいプロ野球人生や日米での活躍から「高校時代も甲子園を沸かせたスターだった」と記憶しているファンは少なくありません。しかし、記録を紐解くと新庄剛志氏の甲子園出場回数は0回であり、一度も聖地の土を踏むことはありませんでした。
新庄氏が進学したのは、福岡県八女市に拠点を置く西日本短期大学附属高等学校 野球部です。入学当初からその卓越した身体能力は群を抜いており、外野手としてだけでなく、時には投手としてマウンドに上がり、鋭い速球を投げ込むなどチームの中心選手として頭角を現しました。
高校最後の夏となった1989年(平成元年)第71回全国高等学校野球選手権福岡大会において、西日本短大附は快進撃を続け決勝戦へと進出します。相手は、後にプロで活躍するサウスポー前田幸長投手を擁する強豪・福岡第一高校でした。息詰まる熱戦の末、西日本短大附は惜しくも敗れ去り、新庄氏の「甲子園への夢」はあと一歩のところで潰えることとなりました。
高校時代の公式記録において、新庄氏が積み上げた高校通算本塁打は24本とされています。決して全国区の怪物スラッガーという数字ではありませんでしたが、木製バットへの適応力や、打った瞬間にスタンドへ放り込む天性のヘッドスピードは、当時から地元スカウトの間で密かに高く評価されていました。