豊臣秀吉の家系図を総覧!血筋は本当に断絶?現在に残る子孫の真実
秀吉の死後、天下の覇権をめぐる争いは加速し、1614年の「大坂冬の陣」、1615年の「大坂夏の陣」へと突入します。徳川家康率いる圧倒的な軍勢の前に大坂城は落城し、豊臣秀頼と母・淀殿は城内で自害しました。
秀頼の死後、残された血筋にも徳川方の容赦ない追手が迫ります。秀頼の側室が生んでいた8歳の男児・国松は捕らえられ、京都の六条河原で斬首されました。一方、秀頼の娘・奈阿姫(天秀尼)は、ねねや秀頼の正室・千姫(家康の孫)の助命嘆願によって助けられ、鎌倉の東慶寺に入門して出家します。
天秀尼は1645年に生涯を終え、これにより豊臣秀吉の直系血筋は公式に完全断絶しました。一代で天下を掴んだ太閤の血脈は、わずか秀頼の子供の世代で幕を閉じることとなったのです。