福岡大ワンゲル部メモの全貌と真相|日高ヒグマ襲撃事件の戦慄
福岡大学ワンダーフォーゲル同好会のパーティー(竹末リーダー以下5名)は、1970年7月12日に日高山脈北部から縦走に入り、順調に行程を消化していました。悲劇の歯車が狂い始めたのは、縦走の終盤、標高1,903メートルのカムイエクウチカウシ山九ノ沢カールに幕営した7月25日の夕刻です。
事態がどのように悪化していったのか、当時の遭難報告書に基づく時系列データから振り返ります。
- 7月25日 16:30頃:テント設営中、約100メートル離れた場所に体長約1.5メートル、若いメスのヒグマが出現。部員たちは警戒しながらもカメラで撮影。ヒグマは接近し、テント外に置いてあった部員のキスリング(大型ザック)を漁り始める。
- 同日 17:00過ぎ(致命的な分岐点):部員たちは大声を出して鍋やヤカンを叩き、一度クマを遠ざけた隙に、クマが漁っていたザックを奪い返してテント内に引き込んだ。これがヒグマの怒りと強い執着を呼び起こす。
- 同日 21:00頃:ヒグマが再び現れ、テントの布地を外から引っ掻くなどの威嚇を行う。部員は一晩中、ラジオを鳴らし焚き火を燃やして警戒を続けた。
- 7月26日 早朝:ヒグマが再来。テントを破壊し始める。偶然通りかかった鳥取大学山岳部(3名)と遭遇し、事態を伝達。鳥取大側から救助要請の伝達を約束され、食糧の支援を受ける。
- 同日 17:00〜夜:鳥取大パーティーは危険を察知して稜線へ移動。福岡大パーティーは「テントを修復してもう一晩耐え、翌朝救助を待って下山する」と判断し、カールにとどまる。夜間にクマがテントへ突入。逃走を余儀なくされる。
- 7月27日 早朝:霧の中を下山開始するが、ヒグマが執拗に追尾。まず最後尾を歩いていた1年生の河原さんが背後から襲撃され命を落とす。パニックに陥りパーティーは分断。
- 同日 午後〜28日:生還を目指した滝さん、西井さんの2名は谷を下り、28日午前に五ノ沢砂防ダム工事現場へ辿り着き生還。一方、逃げ遅れた竹末リーダーと興梠さんは八ノ沢周辺で相次いで襲われ、犠牲となった。
通信手段がなく、天候悪化によってヘリコプターも飛ばない状況下、彼らは山中に完全に孤立していました。当時の判断について現代の視点から批判することは容易ですが、携帯電話も衛星GPSも存在しなかった昭和45年の登山環境において、パニックと疲労が極致に達していた部員たちの心理状態を想像する必要があります。