平田満の現在と病気説の真相!蒲田行進曲の伝説から妻との絆まで徹底追跡
平田満の原点を語る上で避けて通れないのが、劇作家・演出家のつかこうへいとの邂逅です。愛知県屈指の進学校である県立時習館高校を経て早稲田大学第一文学部に進学した平田満は、学生劇団「暫(しばらく)」でつかこうへいと出会いました。大学を中退して1974年の「劇団つかこうへい事務所」旗揚げに参加すると、『初級革命講座飛龍伝』や『熱海殺人事件』などで圧倒的なセリフ量と身体表現を叩き込まれ、小劇場ブームのど真ん中で熱狂的な支持を集めます。
そして1982年、深作欣二監督によって映画化された『蒲田行進曲』のヤス(村岡安次)役によって、平田満の名は日本中に轟くことになります。大スター・銀ちゃん(風間杜夫)に心酔し、その身代わりとして身重の小夏(松坂慶子)を妻に迎え、命の危険を伴う「階段落ち」に挑む大部屋俳優――。狂気、卑屈さ、哀愁、そして底抜けの純情が入り混じったヤスの咆哮は、観客の涙腺を激しく揺さぶりました。
当時の映画雑誌や手記の記録によると、深作欣二監督の過酷な撮影環境のなか、平田満は自らを限界まで追い込み、まさに役柄のヤスと一体化して現場に立ち尽くしていたと回想されています。この演技が高く評価され、平田満は第6回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞および新人俳優賞、第7回報知映画賞主演男優賞、キネマ旬報賞など、同年の主要映画賞を独占する快挙を成し遂げました。華やかな二枚目スターではなく、泥にまみれた人間の弱さと尊厳を体現したこの役柄こそが、平田満という表現者の揺るぎない土台を築き上げたのです。