神話解体!解禁文書が明かす金日成青年期の真実と抗日パルチザン
1930年代半ば、中国共産党の指導下に結成された東北抗日聯軍に加入した金成柱は、頭角を現し始めた。彼が「金日成」という変名を使い始めたのもこの時期とされる。だが、関東軍による包囲網が狭まると、東北抗日聯軍は壊滅的な打撃を受けた。部隊は四散し、多くの幹部が戦死または投降した。
生き残った金日成とその部下たちは、極東ソ連領内へと境界を越えて逃げ込んだ。ソ連側は彼らを収容し、ハバロフスク近郊に設置されたソ連赤軍第88独立旅団に組み入れた。ここで彼はソ連軍の大尉として任官され、情報収集や特殊工作の訓練を受ける。このソ連赤軍での数年間こそが、彼のその後の運命を決定づけた。彼はソ連の軍事機構の庇護を受けながら、モスクワの意向に忠実な政治将校としての資質を磨いていったのである。