ハゲワシと少女の知られざる真相|写真家の自死と少年の運命を追う

ハゲワシと少女の知られざる真相|写真家の自死と少年の運命を追うの全貌を丁寧に掘り下げてご紹介します。

ピューリッツァー賞受賞からわずか数カ月後の1994年7月27日、ケヴィン・カーターは生まれ故郷である南アフリカ・ヨハネスブルグの公園にて、愛車の排気ガスを引き込み33歳の若さで自ら命を絶ちました。世間では「世論の批判に耐えかねて良心の呵責から自殺した」と短絡的に語られがちですが、残された遺書や親しい友人たちの証言から浮かび上がる真相は、はるかに過酷で複合的なものでした。

カーターは当時、アパルトヘイト末期の激しい流血と暴虐を最前線で取材し続けた伝説的カメラマン集団「バンバン・クラブ(The Bang-Bang Club)」の主力メンバーでした。日常的に凄惨な虐殺や処刑現場を目撃し続けたことで、彼は重度のPTSD(心的外傷後ストレス障害)とうつ病に深く苦しんでいました。さらに自死の数カ月前には、無二の親友であり同僚であった名カメラマン、ケン・オーステルブルックが取材中の銃撃戦で目の前で射殺されるという致命的な喪失を経験していました。

追い打ちをかけるように、雑誌の締め切り直前に撮影フィルムを紛失するトラブルや、深刻な経済的困窮(家賃や養育費の滞納)、薬物依存が重なり、彼の精神は限界を迎えていたのです。発見された遺書には、彼の精神を蝕んでいた真の苦痛が生々しく記されていました。

【ケヴィン・カーターの遺書(抜粋)】

「本当に、本当に申し訳ない。人生の苦痛が、喜びを遥かに凌駕してしまった……鬱病、電話代もない、養育費もない、借金……お金がない! 死の鮮明な記憶、死体、怒り、苦痛、飢えや負傷した子供たち、引き金を引く狂人たち、警察、処刑人の記憶が私を執拗に追い詰める……もし私に幸運があるなら、ケンに会えるだろう」

遺書が示す通り、彼を死へ追いやった主因は単一の写真に対する批判ではなく、過酷な現場で焼き付いた「死と暴力のトラウマ」の集積と、現実生活の破綻だったのです。

山口 彩花

山口 彩花

写真家・フォトエディター

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。