大竹しのぶの元旦那2人との真実|服部清治氏との死別からさんまとの現在まで
服部清治氏の他界後、憔悴する大竹しのぶと幼い二千翔氏を公私にわたって支えたのが明石家さんまでした。2人の距離を急接近させた決定打は、1986年の社会現象ドラマ『男女7人夏物語』、および服部氏没後の1987年に放送された続編『男女7人秋物語』での共演です。劇中さながらのテンポの良い掛け合いは現実の好意へと昇華し、1988年9月に2人は電撃結婚を発表しました。
翌1989年には長女・IMALU(大竹いまる)が誕生。国民的人気者同士のスター夫婦として脚光を浴びましたが、結婚生活はわずか4年でピリオドを迎えることになります。1992年9月、2人は正式に離婚を発表しました。
表面化した大竹しのぶと明石家さんまの離婚理由の核心は、家庭観と女優業に対するプロフェッショナル同士のプライドの衝突でした。
- 女優復帰への意志と家庭像のズレ:さんまは「家に帰ったら温かいご飯を作って待っていてほしい」という昭和気質の家庭像を求めていたのに対し、大竹は天才肌の表現者として舞台や映画の現場へ全力復帰することを強く望んでいました。
- 生活リズムと価値観の乖離:深夜まで仕事仲間と過ごすさんまのライフスタイルと、台本を読み込み役に没頭する大竹の芸術家肌な一面が、日常生活の些細な擦れ違いを増幅させていきました。
離婚発表の際、さんまが額に「×」印をマジックで書いて記者会見に登場したパフォーマンスは、芸能史に残る名場面として知られています。ドロドロの愛憎劇ではなく、互いの才能と生き方を尊重し合った上での発展的解消であったからこそ、あのユーモア溢れる会見が成立しました。