西郷隆盛の死因の真相を徹底解明|被弾と介錯の壮絶な最期と首の謎
Q1:西郷隆盛は本当に自分で切腹したのですか?
A1:いいえ、自らの手で腹を切り裂いたわけではありません。政府軍の銃撃により大腿部と腹部に致命傷となる貫通銃創を負い、歩行不能となった直後、随行していた別府晋介に命じて首を刎ねさせる「介錯による自刃」を遂げました。
Q2:西郷隆盛の最期の言葉は何ですか?
A2:介錯を務めた別府晋介に向けた「晋どん、もうここらでよか」です。これに対し別府晋介は「ごめねんあったもんし(お許しください)」と叫んで太刀を振り下ろしました。
Q3:切断された西郷隆盛の首はどこで見つかったのですか?
A3:政府軍に奪われるのを防ぐため、従僕らによって折田正助邸門前付近の土中に埋められていました。その後の捜索で掘り出され、山県有朋らによる首実検を経て胴体とともに南洲墓地に埋葬されました。
Q4:持病の象皮病(フィラリア)は死因に関係していますか?
A4:直接の死因ではありませんが、間接的に大きく影響しています。島流し時代に感染したフィラリアによって下半身に極度の象皮病(陰嚢水腫)を患っており、城山を駆け下りる際の機動力を著しく奪っていました。また、首実検の際に遺体を西郷本人と確定させる決定打となりました。
Q5:西郷隆盛が生き延びていたという「生存説」の真相は?
A5:完全な俗説であり、史実ではありません。首実検や検死、埋葬の記録が明確に残っています。しかし、英雄の急激な死を受け入れがたい民衆の心情から、「ロシアへ逃れた」「インドネシアへ渡った」といった生存説や「西郷星」伝説が明治時代を通じて広く流布しました。