斎藤元彦の家族構成|妻の素顔・子供の学校や名家実家のルーツを徹底追跡
斎藤元彦氏のパーソナリティや政治信条を理解する上で欠かせないのが、生まれ育った実家の家柄とルーツです。斎藤家は、戦後神戸の復興を支えた一大産業である「ケミカルシューズ」の製造業を営んでいた名家として知られています。
神戸市長田区および須磨区一帯は、ゴム産業を母体としたケミカルシューズ発祥の地であり、日本屈指の靴の生産拠点を形成していました。その中心人物のひとりとして草創期を牽引したのが、斎藤知事の祖父・大作氏(創業者)です。祖父は靴製造会社を立ち上げ、地元工業組合の要職を務めるなど、地域経済の発展に多大な足跡を残しました。地元古参の住民の間では「靴の斎藤」といえば誰もが知る有力企業であり、知事の幼少期はまさにこの地場産業の活気と職人たちの熱気の中で育まれました。
知事の父親の職業もまた、家業の靴製造事業やその関連業務に深く携わっていました。しかし、1980年代後半以降の円高進行や安価なアジア産製品の台頭、さらには1995年の阪神・淡路大震災による壊滅的被害など、神戸の靴産業は未曾有の荒波に呑まれることになります。斎藤家の事業も時代の構造変化と無縁ではなく、事業の変遷や縮小を余儀なくされる厳しい現実を直視することとなりました。
家業が激動する中でも、父親をはじめとする家族は息子の教育を惜しみなく支え、斎藤氏は中高6年間を松山市の愛光学園の寮で過ごす道を選びます。地場産業の盛衰を肌身で感じ、実家の事業変遷を間近で見てきた原体験こそが、のちに総務省で地方財政を学び、財政再建や行財政改革に強い執念を燃やす政治家・斎藤元彦のバックボーンを形作ったといえます。