徳川家斉なぜ子だくさん?50年在位と大奥浪費の真相を徹底解剖

徳川家斉なぜ子だくさん?50年在位と大奥浪費の真相を徹底解剖とはどのようなものなのか? 主要なファクトを簡潔に解説します。

徳川家斉という人物を公平に評価するためには、その「功」と「罪」の双方を立体的に検証しなければなりません。現代の歴史研究においても、家斉の治世は暗愚一色ではなく、ある種の安定期であったとする再評価の視点が存在します。

文化・対外政策における功績:泰平が生んだ爛熟の時代

家斉の治世下で最も特筆すべき功績は、町人文化の黄金期である「化政文化」を育んだ社会環境です。松平定信の厳しい締め付けから解放された江戸の街角路地では、浮世絵の葛飾北斎や歌川広重、滑稽本の十返舎一九、読本の滝沢馬琴などが次々と傑作を発表しました。幕府が民衆の享楽や消費に対して寛容(悪く言えば無関心)であったことが、庶民文化の爛熟を力強く後押ししたのです。

また、対外危機意識の高まりに対しては、伊能忠敬による日本全国の沿海実測事業を支援して精密な『大日本沿海輿地全図』の完成に貢献したほか、間宮林蔵を派遣して樺太が島であることを確認させるなど、国家防衛のための地理的把握を精力的に進めました。家斉自身の性格は温厚で人当たりがよく、争い事を嫌い、松浦静山の『甲子夜話』によれば好物のショウガを毎日欠かさず食して健康を維持していたと伝わります。大名たちに対しても鷹揚に接し、内戦を起こさず50年間の平和を維持した点は、治世者としての一定の能力を示しています。

幕府を破綻させた三大失政:放漫財政・貨幣改悪・諸藩の疲弊

一方で、家斉が残した爪痕はあまりに致命的でした。最大の失政は、大奥の莫大な浪費を穴埋めするために繰り返した「貨幣改悪」です。勘定奉行・荻原重秀の時代とは異なり、文政・天保期に行われた金の含有量を大幅に減らした小判の改鋳は、幕府に一時的な改鋳益金(出目)をもたらしたものの、深刻なインフレーションを招いて民衆の生活を直撃しました。

さらに深刻だったのが、子供たちの養子先・嫁ぎ先となった各大名家への経済的暴力です。将軍の子を迎える大名家には、屋敷の新築や改装、豪華な持参金や贈答品、格式に見合う家臣団の増員が義務付けられました。これにより、加賀前田家や薩摩島津家などの大大名ですら数万両規模の借財を背負わされ、藩財政は破綻寸前に追い込まれました。

天保期に入ると、天保の大飢饉によって全国で餓死者が続出し、大坂では元幕府与力の熱血漢による「大塩平八郎の乱」(1837年)が勃発。国内の統治機構が完全に麻痺している事実が白日の下に晒されました。家斉が享受した泰平の夢は、幕府の骨組みを根底から腐食させていたのです。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。