岡田有希子の飛び降り事件と報道写真の真相|残された謎と現代への教訓
岡田有希子(本名・佐藤佳代)さんは、1983年にオーディション番組『スター誕生!』で第46回決戦大会チャンピオンに輝き、1984年4月にシングル『ファースト・デイト』でデビュー。「ポスト松田聖子」として期待を集め、同年の第26回日本レコード大賞最優秀新人賞をはじめとする新人賞を総なめにしました。1986年1月には、松田聖子作詞・坂本龍一作曲の『くちびるNetwork』でオリコンシングルチャート初登場1位を獲得し、名実ともにトップアイドルの座を確立していました。
しかし、その華々しい活躍の裏で悲劇は突如として訪れます。1986年4月8日の時系列は、当時の警察発表および所属事務所関係者の証言によると次の通りです。
- 午前5時頃:東京都港区南青山の自宅マンションでガス自殺未遂および左手首をリストカット。異臭に気づいた住民の通報によりレスキュー隊が救助し、北青山病院へ搬送されて手当を受ける。
- 午前10時頃:治療を終え、所属事務所「サンミュージック」の専務らに付き添われて東京・新宿区四谷4丁目の本社ビルへ到着。社長室で重役らによる事情聴取と今後の対応協議が行われる。
- 午後12時15分頃:専務らが電話対応や別室との連絡で一瞬目を離した隙に、岡田さんは屋上(7階建てビルの屋根上)へ駆け上がり、そのまま地上へ身を投げた。
現場は四谷4丁目交差点に面したビル前のアスファルト舗装道路で、岡田さんは頭部を強打して即死状態でした。事務所前には朝の病院搬送の一報を聞きつけた報道陣がすでに待機しており、白昼堂々の投身劇は瞬く間に全国へ速報されました。