鷹取山磨崖仏の真相|昭和の彫刻家が刻んだ奇跡と現在のハイキング全容

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鷹取山を巡る物語を語る上で欠かせないのが、鷹取山石切場跡としての歴史です。明治時代から昭和初期にかけて、この一帯からは「鷹取石(浦賀石)」と呼ばれる凝灰岩が大量に採掘されていました。耐火性と加工性に優れ、比較的軽量であった鷹取石は、横須賀軍港の防波堤やドック、護岸工事、さらにはトンネルや民家の塀・土蔵の建材として重宝され、帝都・帝港の近代化を陰から支えました。

機械化が進む前の石切り職人たちがツルハシやクサビで岩を切り出した痕跡は、今も岩壁の至る所に規則正しい鋸歯状の刻みとして残されています。大正期から昭和初期にかけて採掘が最盛期を極めた結果、山肌は垂直に削ぎ落とされ、高さ数十メートルの垂直絶壁が連なる現在の異形が生み出されました。

やがて建材の主役がコンクリートに移行し、昭和10年代以降に石切場としての役目を終えると、この峻険な断崖に目をつけたのが登山家たちでした。東京近郊から日帰りでアクセスできる本格的な岩場として、戦後、鷹取山ロッククライミングの練習場(人工岩場ゲレンデ)として急速に発展。世界的クライマーである植村直己氏をはじめ、ヒマラヤ遠征を目指す幾多のアルピニストがこの壁面でアブミやピトンの技術を磨いた「日本屈指のフリークライミング発祥の地」となったのです。

産業遺産としての石切場跡、アルピニズムの鍛錬場、そして藤島茂氏が刻んだ仏教モニュメント。3つの異なるコンテクストがこの小さな山頂エリアに奇跡的に重なり合い、「湘南妙義」と呼ばれる唯一無二の景観美が形成されました。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。